● 歌イビトの記。

 
 
無伴奏・独唱の【歌イビト語ル】こと、タッシー田代が記す、徒然。

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# さようなら そして ありがとうコマッティ




それはあまりにも突然すぎて、


 
一瞬、 何がなんだか、 理解不能になり、



いくら確認しても、 嘘だろ?  としか思えず、


 
気持ち的に、 状況の整理がまったくできなかった。








 
・・・ 友人、 コマッティが  急逝した。








 
報せがあったのは、日付が4月15日に変わったばかりの、午前0時45分。



 
情報を送ってくださったのは、

 
かつて六本木にあったライブバー「青いひみつきち」のマスターだった。




 
コマッティの実弟さんからの情報が、マスターを通じて、転送されてきた。



 
なんと、
 
葬儀の会場と、葬儀の日時まで書かれている・・・




 
私からマスターに、すぐに返した文面は、こんな内容だった。

 
  え?

  本当ですか?

  なにがあったのでしょう?

  ちょっと信じられないのですが・・・・



マスター自身も信じられないという感じで、驚きを隠せない様子だった。




・・・しかし、


少し冷静になれば、
 

嘘の情報なんて、そもそも流れてくるものでもなし。






コマッティは、  死んだのか  ・・・。







弟さんのFacebookを見に行くと、数日前に

ただ一言「おかえりなさい」というだけのコメントがあり、

「群馬県高崎市にいる」という情報と、「コマッティにタグ付け」がされていた。



これは

遺品やご遺体が、彼の実家である高崎市に帰ってきた、ということなのか・・・。



呆然としながらも、にわかに少しずつ、現実味を帯びてくる。







本当に、 亡くなってしまったんだ、 と・・・。










コマッティとは、もうかれこれ、16〜17年ほどの付き合いになる。

初めて出会ったのは、派遣された先の、新橋にあるオフィスだった。

そこで3年ほど共に働き、たくさんの愉快な同僚たちと、何度も呑みに行ったものだ。

その仲間の中には、森 律子もいた。

みんなで、どれだけの馬鹿話をして、どれだけの酒を呑みながら大笑いしたことだろう。




突然の訃報を、りっちゃんに送る。




もちろん、彼女としても、即座に信じられるはずがなく、私と同じく、動揺していた。
 

そりゃそうだ、「コマッティが急死した」なんて、到底受け入れられるわけがない。



当時、新橋で一緒に働いていた仲間たちにもLINEした。


そのグループLINEのやり取りは「2019年1月11日」以来だから、1年3ヶ月以上ぶりだ。


 
・・・ みんな当然ながら、
 
信じ難い事実として、受け止めきれてない様子だった。

 

あんな陽気で楽しい男が、急に死んだりするはずがない ・・・!







新橋の出向先がサービス終了にて解散になったあと、

私やコマッティほか、半分くらいのスタッフは新天地の六本木に異動となった。


当時、大炎上の、荒れに荒れていたお客様センターで、私はチーフの役職に就いたが、

コマッティは直属の部下として、まさに私の右腕となる働きをみせてくれた。

60名近くのスタッフを私と一緒に支え、動かし、サービスの向上に尽力した男・・・。

互いに朝まで徹夜で働くこともあったし、実に大変な時期を乗り切った戦友だった。



その後、センターは品川シーサイドに移転、

この時期、働き口がなくて困っていた守友くんを職場に受け入れることになった。

守友くんとコマッティは、ギタリスト同士、すぐに意気投合して仲良くなった。



ゆくゆくセンター業務が仙台に移管となる際も、一緒に出張して、研修して、

仙台の方々ともすぐに仲良くなって、大変だったが楽しい思い出ばかり。



まぁしかし、仕事での活躍もさることながら、

酒を呑んでは、とんでもない武勇伝を作り上げる奴でもあった(笑)


・・・中でも、一人で何件か飲み歩いた末に、新宿ゴールデン街の小さな飲み屋で、

店のママ(実は男性)に「何か」を盛られて気絶して・・・ おっと、

その先は本人の名誉のためにも伏せておいた方がよさそうだ(爆)



とにかく泥酔した挙句の伝説的なエピソードは数知れず、

いろんな迷惑と、いろんな爆笑で、私も振り回されることが多かった。


彼がどこかの街で呑みすぎた翌日は、出勤が大幅に遅刻することも多く、

そのたんびに顧客やマネージャーからめっちゃ責任追及されて、

ああ、いったい何度、コマッティ擁護のために謝罪しまくったことだろう笑笑笑笑


今ここで打ち明けるのも大変恐縮だが、当時は会社側からの指示(ほぼ命令)で、

私がモーニングコールを毎日、コマッティにしなければならなかったのだギャハハハ!




・・・ そんな騒動も、今となってはもはや懐かしく、
 

当の本人があの世に逝ってしまったんじゃぁ、
 

むしろ最高にファンキーな思い出じゃないか、という気持ちに至ってくる。
 


この一抹の寂しさときたら、本当にどうしたもんだろう。






双子のルリルルが生まれたばかりの頃、わざわざ家に訪問してくれて、

赤ん坊の二人を両腕に乗せてあやしてくれた。



3歳になったルリルルを連れて、仲間の飲み会に参加させてもらった時は、

それぞれ交互に肩車をしてくれて、ずっと遊び相手になってくれていた。



・・・ あのコマッティが、もうこの世にいないなんて。
 




その後、彼は別の会社に転職したが、それでも交流はずっと続いて、2015年、
 

前述した、六本木のライブバー
 

「青いひみつきち」を紹介してくれたのが、他ならぬコマッティだった。
 


30分のオープンマイク出演を促してくれて、それがきっかけでマスターと知り合い、
 

ゆくゆくワンマンライブをすることに至った。
 

あの、満員のワンマンは、コマッティのおかげで実現したのだ。
 


(2015.04.01 PAサポートは守友くん、受付は森りっちゃんが担ってくれた)





そして

何と言っても、

コマッティは私のラジオ番組「トワ金」の常連投稿者でもあった。
 

これまでの投稿数は数知れず、いつも楽しいメッセージを送ってくれていた。
 

かつてその昔は、あのR.N.はるヲ氏らと共に、

神近まりちゃんから「三バカトリオ」と呼ばれていたこともあった笑笑笑笑

 

最近の投稿としては、

番組の通算1000回達成の放送にむけて、掲示板に書き込まれたメッセージ。

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1000回おめでとうございます!!!  投稿者:こまってぃー
投稿日:2019年12月13日(金)01時30分35秒
 
タッシーさん、チームタッシーのみなさん
1000回目の放送おめでとうございます!!!
まさに驚嘆でございます!!! マーベラスです!!!
1000回と聞くと、なぜか遠くを見ちゃいますね笑
 
さて、今回のお題である1000にまつわる事。

今年は年号の節目でもありましたので歴史を振り返りたいと思います。

西暦1000年といえば、清少納言が『枕草子』を著し、紫式部が『源氏物語』を著し、平等院鳳凰堂が建てられたとされています。
今でも残っているって手放しで凄いことですよね!!!
伝統を重んじとよく聞きますが、伝統って革新から生まれている事を忘れてはなりません。
今大切にされているヒト、コト、モノって、元は反逆的で、ケムたがられ、受け入れられなかったのですから。

この番組も永遠に続くことを祈念いたします。

番組放送1000回達成おめでとうございます!!!
 
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「革新」というキーワードは、コマッティの人生を語る上で外せない。
 

いつも、世の中の大胆な革新にシビれていた男だった。
 

常に何か、斬新なイノベーションを求めて生きていて、

エキセントリックな感性、先鋭的なデザインに刺激されることを好んだ男。

ジョブスや、岡本太郎の独創力について熱く語ってくれたこともあった。



 

また彼のユニークな面は、幾度となく投稿に表出し、

そのメッセージを読むたびに、腹を抱えて笑わせてもらったものだ。
 

かなり古い投稿では、もう15年も前、

2005年4月、テーマが「先生から言われた思い出の言葉」で、こちらのメール投稿。

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ギリギリッス!コマッティ―です。
 
高3の担当に、
「お前いい奴なんだな」って言われたのが、ものすごく記憶に残ってます。
 
その担任は英語教師なのですが、ショパンをチョピンと読みます。
 
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・・・ チョピン!(笑)




同じく2005年の7月、たぶん「ずばり“祭”といえば?」がテーマだったか。

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メールで失礼します。コマッティ―です。
 
色々「お祭」ありますが、俺にとっての祭は、クラブのイベントです。
 
ズンドコ爆音に身を委ね、朝まで飲みまくり、踊りまくりです。
ミラーボールは俺の太陽!レーザービームで光合成!

 
ちなみに小学生のときは、地元のお祭りで和太鼓叩いてました。
 
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・・・ そりゃぁ神近まりちゃんから三バカ呼ばわりされるわけだ(笑)



そして、
 

つい数ヶ月前、昨年の年末に書き込まれたメッセージ。


結局これが、コマッティからの「最後の投稿」になってしまった。


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今年の私の大ニュース!  投稿者:こまってぃー
投稿日:2019年12月25日(水)14時46分57秒
 
タッシーさん、チームタッシーの皆さん
こんにちは
こまってぃーです

いやー 年の瀬ですねー。
 
昨年のボクの投稿を見返しちゃいました。
彼女が出来たと記してますねー。
5月くらいから連絡取れなくなっちゃいましたけどwww
 
2019年にやる事として、旗を立てる、会社登記、プラン固め、プロダクト開発、資金調達と記していますね。
資金調達がまだ出来ていませんー。
 
なかなか思うように進みませんが、結果は自分が原因なので、粛々と振り返りテンションの浮き沈みの幅も少なく前を向いて実行しています。
 
それでは本日のテーマ「今年の私の大ニュース!」
それは、一緒にコンテンツ制作しているアーティストの旦那さんから「妻の夢を叶えてくれてありがとう」と言われた事が最も嬉しかったです!!!
承認欲求がビンビンに満たされちゃいましたアハハエヘウフwww
 
2019年は皆さんに支えられてたなーボク何もやってないかもと思う年でもありました。
あー結婚したい(遠い目…)
 
それはさておき2020年は海外展開しまーす。
皆様よい年をお迎えくださいませ。
 
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しょっちゅう「彼女」だ「結婚」だと言ってたなぁ(笑)

それなのに、ついに未婚のままだった。 ・・・残念無念としか言いようがない。





 

・・・ 葬儀は、 4月18日に、 彼の故郷である高崎市の会場にて行なわれた。





その前日は金曜日だったので、ラジオの放送があり、

コロナ対策として都内在住のノスケくんは自宅からのリモート出演。

それだけでも色々と大変なのだが、

さらに初の「新ミキサー卓」の操作という難関に挑んだ放送だった。


実はノスケくんも、私の仲介が縁で、コマッティとサシで呑んだことがあり、

コマッティの企てる音楽シーンの革新について語らいあった関係でもあった。


私もノスケくんも、今回の突然の訃報に心中はまだ動揺していたけれど、

エンディングのBGMに私のオリジナル曲「天国に昇ったら」を流し、

哀悼の意を表した。





ラジオ局からまっすぐ自宅に帰り、

大急ぎでラジオ音源のアップ作業を進め、いったん寝て、早朝に作業完了。



そうして一夜明け、

彼の葬儀の日をむかえた・・・。





 



葬儀当日は、


土砂降りの雨だった。
 

「今年に入って一番の大雨」という報道もあった。




正直、このコロナ渦において、

参列については、かなり悩んだ。 ・・・が、

私が出向かないでどうする、行かなければ一生後悔すると思い、

あらゆる懸念とあらゆる邪念を振り切って、参列に出向くことを決意した。


 

守友くんが、レンタカーを借りて、参列に同行したいという。

森りっちゃんも、本人の強い決意で、同行することになった。


 

激しい雨のせいで運転席からの視界が恐ろしいほどに悪かった高速道路を突っ走り、

ちょうど昼ごろ、私たちは高崎市に到着した。

 




 

我々を乗せたレンタカーが葬儀会場へと入っていく時、

会場の入り口に立ててある、「故人の名が大きく書かれた看板」が目に入った。

それを見た瞬間、

りっちゃんは大きくため息をつき、

「あぁ、もう、本当なんだ・・・・」と、

小さくつぶやいた。

 

ここで自分も、本当にコマッティが亡くなってしまったんだという、

その「現実」を、否応無しに意識せねばならない感情に追い込まれた。




 

一階がロビーで、「葬儀は二階で行なわれる」とのことだったが、

その二階に上がる階段の、一段一段が、なんと沈痛だったことか・・・!

二階に上がった途端に、コマッティの遺影が視界に入って来てしまうのだ。

こんなに辛く感じた「階段」が、これまでの人生にあっただろうか?



 

そして遂に、私達はその遺影に向き合う。




いくら信じたくなくても、

それは事実なのだということを、必然的に理解しなければならなかった。




 

・・・コマッティは、本当に、亡くなってしまったのだ。




 

・・・でも、どうして死んじまったんだよ、コマッティ。





お坊さんのお経が続く中、私はずっと、その疑問を繰り返してばかりいた。









死因は、自宅内での、爆発による衝撃死だったという。


スプレー缶か何か?の爆発によるもので、その日、近隣住民が大きな爆発音を聞いている。
 

窓から煙が出ていたために通報があり、しかし部屋の半分ほどしか焼失していなかったらしい。





いったい、なにがあったのだろう・・・??




 

警察の捜査では、事件性はないとのことだったが、詳細は判明していない。



 




コマッティのご家族と、この日、初めてお会いすることができた。




弟さんが、あまりにもソックリで、なんか色々と、混乱しそうになった。




職場に歌い手の上司がいるんだ、そして双子の可愛い娘がいるんだという感じで、


コマッティはかなり以前から私のことを、家族の方々に伝えていたらしい。


・・・そうだったのか  ・・・そんなことまったく知らなかった。





 

ご家族の許可了承をいただいて、


故人の遺影の横に飾ってあった、


彼が愛用したギターを、写真に撮らせていただいた。
 


 

このギターと向き合って、しばし色々なことを思い出しているうちに、
 

私は、例えようもない感情が込み上げて来てしまって、
 

震えながら、号泣してしまった。

 

ギターのネックの木目には、
 

彼が何度も指を往復させたであろう手垢が染み込んでいる。

 

そう、そうなのだ、
 

まぎれもなく明らかに、コマッティという男は、そこに生きていた!
 


それなのに・・・!

 




 

大学院で経営学を学んで、MBAを取得し、


多くの出会いと経験を積み、
 

近年は、いよいよ、
 

音楽シーンにおける起爆イノベーションの創出に挑み、
 

つい先頃、
 

自らの野望を全力で投入するがごとく、


会社を立ち上げた。
 

その矢先の、不慮の急逝だった ・・・。





 

ご遺体との対面。


息をしていないコマッティをおさめた棺桶。
 

私は、誰よりも一番下 = 足元の、片隅に、一輪の白い花を手向けた。
 

拝顔すると
 

まだまだ野心に満ちた、
 

これから世の中に革新の嵐を巻き起こさんとする、
 

とても強い、非常に強い表情をしていた。




 

棺桶は霊柩車に乗せられ、ご遺族とともに火葬場に向かった。
 

雨が、だんだん小降りになってきていた。
 

ここで、コマッティとも、お別れだ。
 

ここから先は、私の心の中で生き続ける男になる。




 

さようなら  そして  心から  ありがとう。




 

私の人生にコマッティが登場してくれて、本当に良かった。









 

EM−QLUBのライブにも来てくれた。

PONYのライブにも来てくれた。

歌イビト語ルのライブには、何度も何度も ・・・そう、

あの「ルリルルの初ライブ」にだって足を運んでくれたコマッティ。




 

この16〜17年の間、私は、コマッティという男と、

どれだけ共に仕事でキツい思いをしたことだろう。

どれだけ会社や仕事の愚痴を分かち合ったことだろう。

どれだけ遅くまで酒を呑み交わし、酔いまくったことだろう。

どれだけ呑み終わった駅前で、固い握手をしたことだろう。

どれだけ女の話や、エロ話で盛り上がったことだろう。

どれだけ音楽や映画や芸術のことで語りまくったことだろう。

どれだけ互いの「大きな夢」を、熱く語らいあったことだろう。






・・・ あぁ 思い出が多過ぎる!








 

 

過去に一度だけ、コマッティは、

私とサシ吞みした夜のことを、SNSに載せたことがあった。

文章内の「アーティスト」は私のことを指してくれているのだけれど、

その記事は、私にとって、かけがえのない宝物だ。
 






コマッティこと、小松徹也、享年43歳。



私なんかより10歳も若い、破天荒に生きた快男児の、突然の逝去だった。







葬儀に参列し終え、


守友くんの運転で、森りっちゃんと共に、帰りの高速道路。


午前中の豪雨が嘘のように、


どんどんと空が晴れてきた。


雨上がりの遠くの景色が、とても綺麗で、


過ぎ去りつつある雨雲の隙間から、


何本もの太陽の光が、それこそシャワーのように、


遠くの山々にむけて、降り注いでいた。







さぁコマッティ、
 

いつかオレがそっちに行ったら、 そん時には、 またよろしく頼む。








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