● 歌イビトの記。

 
 
無伴奏・独唱の【歌イビト語ル】こと、タッシー田代が記す、徒然。

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# 映画(9月)


一本の映画に触れるだけで、自分の感性が高まるのを感じる。


映画の息吹を感じると、自分の想像神経が研ぎ澄まされる。


だから映画に接していない時期は、とても鈍っているのがわかる。




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◆『セブンス・コンチネント』  1989年  オーストリア





ミヒャエル・ハネケは、

なぜこの映画を生み出さねばならなかったのだろう。





『71フラグメンツ』、『ピアニスト』、『隠された記憶』、

そして『愛、アムール』といったハネケ作品を過去に拝見してきたが、

ある程度は陰鬱な気分になることはわかっていても、

どういうわけか数ヶ月周期で立ち寄りたくなる世界。



本作はハネケ初の長編作品らしいが、

しかしなぜ、こういう作品を生み出そうと思い立ったのだろう。






さほど変哲のない中流な家族が、

「どうして」「その道」を「選んだ」のか。



劇中ではその背景や理由が具体的に掘り下げられないまま、

その家族は「決断する」ことになり、ついに「実行」した。


観ている側は、何もわからない。


そして「実行」に至る過程で、

物凄い音と共に、あらゆる物が破壊される。

が、

その間、破壊し続ける人の顔(首から上)は見えず、

まったく表情が伺えない。


これこそ恐怖だと思えた。





淡々と時間が過ぎてゆく日常の中に、

人間の、想像を絶する精神恐怖が潜んでいる。



何度か見直せば、見えてこなかったその「理由」は浮かび上がるのだろうか?

(『隠された記憶』がそうだったように)







◆『病院坂の首縊りの家』  1979年  日本





そんなにハマることもないだろう、と思いつつも、気がついたらハマり続けている。

横溝正史の金田一耕助シリーズ、そしてその市川崑が監督した作品。






いわゆる「金田一耕助最後の事件」として描かれる物語。

常連キャストの立ち回りもさることながら、

一人二役の桜田淳子や、金田一の“相棒”のような草刈正雄らの怪演もよかった。

さらには大滝秀治、常田富士男、小沢栄太郎、小林昭二・・・

もうなんと言うか、名優の皆さん有り難う御座居ますという感じだ(笑)






あの湿り気(室内の湿気、陰影の湿気、アングルの湿気、音楽の湿気)。

あのギシギシ感(床板のギシギシ、扉のギシギシ、人間関係のギシギシ)。

そしてあの、殺伐さ(恨みのはかなさ、愛憎のわびしさ、孤独の限りなさ)。


これらは、この市川崑の作品群でしか味わえない。





さぁ、横溝+市川+石坂での未見は『女王蜂』のみとなった。

あ、セルフリメイクの『犬神家』もあったか・・・(どうしようかなぁ)

そういえば他の市川崑作品については未見ものばかり。

『東京オリンピック』や『野火』などは手元にあるので、

後日あらためて拝見してみようかと思う。


ちなみにまったくの無関係だが、

横溝正史は、近鉄バファローズの大ファンだった(まさに無関係なハナシw)







◆『キャデラック・レコード 〜音楽でアメリカを変えた人々の物語』
  2008年 アメリカ





ようやく拝見することができた。


ブルース史上、いや黒人音楽史上、いやポピュラー音楽史上、

非常に大きな功績を残したレコードレーベル「チェス・レーベル」の物語。





マディが似ていない、エタ・ジェイムズが美人すぎる(ビヨンセだもの)、

逆にハウリン・ウルフとチャック・ベリーはまぁまぁ似ていた、

出来事と時代の配列もチグハグ、ボー・ディドリーに一切触れてない、

ウィリー・ディクソンからの「フーチークーチーの伝授」が違う、

ってゆうかそもそも、

チェス社長とエタの不倫シーンは映画用に作ったエピソード、等々、

いろんなところで指摘されている苦言には自分もほぼ同意(笑)

だけど苦言も野暮だし、そんな目で鑑賞ばかりしていても時間が勿体ない。

なので、およそ20年ぶりに2冊の書籍を棚から引っ張り出して、

映画に寄り添う感じで、自分なりに楽しんでみた。





『ディープ・ブルース』と、晶文社の『ブルース』。

どちらも手垢まみれで真っ黒になるほど読み倒した本。

(蒸し返すけどやっぱりマディは似てないよなwww)


前者の書籍は、民謡研究家アラン・ロマックスが南部でマディを探し当て、

民族の音楽資料として野外録音を行なったくだりが書かれている。

これは映画の冒頭で描かれているシーンで、そもそも「運命のいたずら」的な、

まさにブルース史上に残る、“地味な一大事(笑)”だった。


というのも、映画では触れられていないが、

<当初、アラン・ロマックスが採取したかったのはロバート・ジョンソンだった。>

<しかしロバジョンは毒入りウィスキーで殺されたあとだった。>

かのビッグ・ビル・ブルーンジーもロバジョンが他界したことで都市のイベントに

招かれたブルースマンだったが、マディが世に出るきっかけも、ロバジョンの死だった。

(そう考えると、死しても亡霊ロバジョンの魔力たるや、驚異的だ)





一方の、ベッシー・スミスが表紙の書籍『ブルース』は、

最後のあたりがチャック・ベリーの出現/大旋風についての章になっている。

彼の登場で、ブルースは活気のある、華々しい芸能の一部となったが、

そこには何か、重要なスピリットが失われてしまった感も拭えない。

映画を観ながら、私は即座にこの書籍を思い起こした。





物語は、エルヴィスの登場や英国ブルースリヴァイヴァルのあたりまで、

ほぼチェス・レーベルの衰退と沿うようにまとめられている。

要するに、チェスでの日々を生きた人々の、青春のドラマである。



とにもかくにもブルースという黒い大樹は、あまりに長く険しい樹齢を刻み、

多くの、数えきれないほどの枝葉を伸ばし続ける文化の巨木。


そのほんの取っ掛かりを知るという意味では、それなりに楽しめる映画だとは思う。


これをきっかけに、若い女の子達がマディやエタやウルフのCDをタワレコで買い、

やがては、映画で触れられなかったエルモア、TヴォーンなどをAmazonで注文し、

そしていつしか、サン・ハウスやチャーリー・パットンのCDを海外から取り寄せる・・・

そんなブルース女子「ぶるじょ」が街中にたくさん増えたらなぁ、と思うw

(そうなったら奇跡的にモテるかも知れないヨ!www)








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